騎手しゅしゅしゅ 一話
名はユイサンダー。地方競馬で一番人気の牝馬だ。線は細いが走りは力強く、美しくたなびく鬣はギリシャ神話の女神を思わせる。そのユイサンダーに、今日は中央競馬のトップ騎手である竹々ウタカが騎乗することになっている。地方競馬始まって以来の大盛況。ユイサンダーはここ10レースほど負け知らずで、ただでさえ強いところに竹々騎手登場とあっては、予想屋も商売あがったりというものだ。
「今日もいつもの通りでよろしく頼むよ」
竹々はユイサンダーの首を軽く叩きながら、期待を込めてささやいた。
「今日もいつもの通りでよろしく頼むわ」
ユイサンダーは鼻の穴を膨らませ、首を自分の尻の方にやりながら、期待を込めてささやいた。もっとも、ユイサンダーの声は竹々に、「ヒヒン」としか聞こえなかったに違いない。
「了解」
ユイサンダーのお尻で何かが応えた。そのやりとりは意味があるようでないようなもので、ユイサンダーのお尻の何かは、当然だと言わんばかりであった。
レースはユイサンダーの圧勝。竹々ウタカはさも誇らし気に大歓声に向かって軽く左手を上げ、右手でユイサンダーの首を叩いて「どうだオレのリードは。お前のような賢い馬は、オレの偉大さをいち早く感じ取っただろう」と、全てわかっている風な理解顔をして見せている。
「よかったな」
お尻の何かがユイサンダーに言った。
大歓声にかき消されて、ユイサンダーには聞こえなかったが、
「ありがとう。今日もあなたのおかげだわ」
ユイサンダーは、いつもレースが終わる度に、お尻の何かにお礼をいうのを欠かさなかった。
お尻の何かは少しずつ移動して、竹々がさっきまで股がっていた鞍の近くまでやってきた。
「気をつけて。もうすぐ調教師が鞍を外すから」
ユイサンダーが言った。
「わかってるよ。でもブラッシングが始まる前に、君の耳の穴まで移動しないとさ」
お尻の何かは、いや背中の何かは必死に手足を動かしている。
「今日のコーナリングは、あなたのリードがよかったわ。竹々なんて、全くズレたところで抜かせようとするんだもの。あれで名騎手? いったい幾ら稼いでるのかしら。あなたなら竹々の倍は稼げるわよ」
「ははは。僕は君の油がもらえて、こうして食料に困らないからそれで充分さ」
お尻の何かは耳の穴へ移動し終わり、ほっとして眠りについた。
お尻の何か、いや耳の穴の何かは、小さな小さな野ダニであった。
ユイサンダーが突然強い馬になったのも、今日竹々ウタカが圧勝したのも、野ダニがユイサンダーの尻に噛み付き、競馬レースのすべてを操っていたからであった。
ユイサンダーに誰が騎乗しようとも、本当の騎手は野ダニだったのだ。
二話につづく
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